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2023.05.01

20周年

「20周年」 23年 冬春合併号

 

弊社(ビッグ・フィールド・マネージメント)は、

本年(2023年1月14日)に創業20年目を迎えました。

 

数多のクライアント・友人達を含め、多くの皆様のご支援と

最高の仲間(パートナーである社員)達と家族のお陰です。

 

 

2004年1月14日創立。

 

決算期を3月としたので、最初の一期は僅か2か月弱、

同年4月1日(二期目)が実質スタート。

来年1月14日で満20年となります。

 

福岡市の中心地天神1丁目で開業したオフィスは、

大型ビルの狭間に建つ3階建ての雑居ビルでした。

 

1F、2Fは飲食店、その脇にある僅か1mの間口の入口から

階段を3階まで上ると4つの部屋がある。

 

そのうちの3つの部屋を弊社が使用。

屋上テラスに面する縦長の部屋だったので5つの机を縦に配列しました。

隣の部屋は会議室兼セミナールームとして使用。

最後の一つは倉庫。

残りの一部屋はこのビルのオーナー企業(不動産管理業)のビル清掃の方々の休憩室。

共有部にトイレとキッチンが備わっていました。

 

最高の立地ながら、エレベーターもなく、築年数も古く、

将来の建替えを計画しているため、激安で借りる事が出来たのは

友人達からの紹介があったからです。

 

ビルは周辺を大型ビルが林立する谷間に立地していましたが、

3F建てといいながら2F建てのビルの上に建つペントハウスのような構造と

なっていたので、広々とした屋上テラスから燦々と陽光が降り注ぐ、

とても明るく気持ちの良い環境であり、ドアを開けるといつでも、

風が抜ける屋上テラスで日向ぼっこを愉しむ事も出来ました・・・

 

 

前職のベンチャー企業に入社したのは、25歳の時、

結婚した1年後で妻のお腹には長男が宿っていた。

 

その前はレコード会社のプロモーション代理業(レコード会社の下請け)

福岡から撤退していくレコード会社や地方にまで事務所を出す

余裕のない小さなレコード会社のプロモーターの代わりに、

新曲のプロモーション活動を月次○○万円で契約して行っていた自営業。

 

その傍ら地元の音楽雑誌に依頼されて旅のエッセイも書いていました・・・

 

ある時、その雑誌の編集の方から、福岡に格安航空券を売る会社が

出来たので取材に行ってみればの一声が僕の人生を変える事になりました・・・

 

19歳から2年間専門学校に通いつつ、数々のバイトをしながら

旅行資金を貯めて海外を放浪、ついに卒業後21歳から2年間イタリアに遊学。

 

帰国後、これまた、レストランでの料理人の修行から始まり、

写真家モドキ、音楽プロモーター等と根なし草~将来を海外で

仕事を見つけて暮らそうと約束して結婚したが、経済的基盤が持てず、

結婚後、一年は髪結い亭主でした。

 

編集者の一言がその後の運命を変えた・・・

 

訪問した小さな旅行会社はオフィス街の外れに建つ飲食店舗、事務所を併設し、

4階以上が1ルームの部屋が縦横に並ぶ9階建て雑居ビル。

 

メイン道路に面した外階段から登る2階の鉄扉を開けると9坪弱のスペースが事務所。

お世辞にも綺麗とはいえない。

 

香港の最たるディープなビル。

そう、重慶大厦(チョンキンマンション)さながらの雰囲気を醸し出していた。

 

そこで出会った、当時の創業者のS社長。

 

月に一度、本社東京から訪れるS社長から食事のお誘いが来る。

6回繰り返した半年後、入社を決めました。

 

その時、

 

S社長『大野君、君、インド・中国行ったことある?』

僕「ありません。」

S社長『入社前に行っておいでよ』

僕「えっ!行かせてくれるのか?」

と思ったら自腹だった。

 

身重の妻を残し、僕は旅立ちました。

 

約2か月弱、携帯電話もインターネットもSNSない時代、

僕との連絡が途絶えた妻は、

「私一人で生まれる子の子を育っていかなければならない。」

と覚悟したそうです。

 

無事に帰国後、入社、2年間、アルバイトの身でチラシ配りが主な仕事。

 

3年目にSさんから、

『全ての権限は君に与える。同時に全ての責任は君にある。

万が一、辞める時に赤字だったら君が責任をもって払ってもらう』

の約束の元、独立採算で本社に売上に応じた割合で月次ロイヤリティを払う

約束で所長を任されました。

 

それから20年、小さなベンチャー企業は一部上場を果たし、

多くの海外支店を設立し僅か数十人の社員も1万人を超える大所企業となり、

僕の目標の夢は叶った。

しかし、目的の夢は叶わなかった。

 

・・・47歳で退任。

 

周りからは、なぜ?辞めるの?

大企業の役員なのに・・・

 

外からみれば地位も名誉も収入もある様に思えたのだろう?

・・・なぜ?

なぜ?・・・

 

退任届を出して一年間、

『何をしても良いから、一年間ゆっくり考えろ!』と言う

S社長の温情で非常勤の役員となりました。

 

その時、本社に北九州商工会議所から僕に講演の依頼があり、

3か月後の講演終了後、多くの中小企業の経営者の方々から称賛を受けました。

 

その中の特に熱心に質問を頂いた経営者から、

”当社の羅針盤になってくれないか?”

・・・という相談を受けたのが創業のきっかけとなりました。

 

本当は、3年くらい何もせずに世界をブラブラと放浪することを考えていました・・・

 

弊社は、中小企業向けコンサルティング&研修・講演・メディア出演等を

生業として始めたものの、2期目まで、僕の給与はなし、個人の蓄えで乗り切りました。

 

なぜなら、僕が給料をとると赤字になるので、やっている仕事内容で

赤字と言うわけにはいかないという思いからです。

 

お陰様で20年。

 

前職での役員だった最も信頼できる先輩に監査役をお願いし、

共に苦しい時代を乗り切り、

成長・発展させた前職時代のナンバー2だった只松君、

福大の僕の教え子だった松居君、

昨年から、現在、社労士事務所で働く長男の克幸も役員として加入しています。

 

皆が成長し、彼らが研修事業では主流となり

行政・民間のお客様も含め大きな信頼を得ています。

 

また、弊社の専任講師を務めて頂ける講師陣の皆様の協力もあり、

コロナ禍も良い業績で乗り切る事が出来ました。

 

まさに会社の成長は社員の成長の結集こそ大きな力となります。

 

弊社はこれ以上を望まない・目指さない。

これ以下にもしない。

溢れる分は、子会社で補う。

 

お客様のカスタマーサクセスを創造する。

お客様の期待を裏切ることなく実践的アドバイスを行う。

ステージの上でスポットライトを浴びるのはお客様です。

共に働くパートナーの仲間(社員)と家族の幸福の持続。

 

今があるのは、人生の岐路となる出会い・出合い・出逢いがあるからです。

5月1日、65歳となった僕の人生にとって、

仕事・家族・友人・旅・etcが支えてくれました。

 

本当に感謝しかありません。

「有難うございます。」

 

これからも宜しくお願い致します。

 

※5か月分の長文となりました。

弊社メルマガも昨年までは毎月だったのが、季刊となり、今回は5か月ぶりとなります。

まぁ、3か月に一度のペースで配信しますので、迷惑でなければ拝読頂ければ幸いです。

 

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